【最終話・虚空】
気がつくとそこは、アンパンマン号の中だった。
「ここは……?−−−−!!ば、バイキンマンは!?」
我に返ったアンパンマンだが、今の状況を正しく理解することはできなかった。
しばし錯乱した様子で辺りを見回してみると、しょくぱんまん、カレーパンマン、ジャムおじさん、バタコさん、メロンパンナが彼の周囲を囲むように立っていた。
ジャムおじさんが一言、「気がついたかい?と言ったきり、皆押し黙っていた。
しばらく気まずい沈黙がアンパンマン号の中に流れた後、耐え切れなくなったアンパンマンが口をひらいた。
「ねぇ、なんでみんなだまっているんだい?それに僕はどうしてこんなところに……。あ、そうだ、バイキンマンはどうしたんだい!?バイキンマンがかまめしどんを襲っていて……」
「本当に、何も覚えていないの?」
メロンパンナが心配そうなにアンパンマンを顔を覗き込んだ。メロンパンの香ばしい匂いがアンパンマンの鼻腔をついた。
「パトロールをしていたら悲鳴が聞こえて、駆けつけたらバイキンマンがかまめしどんを……ごめん、そこからは……。」
申し訳なさそうにうなだれるアンパンマン。それを見かねたしょくぱんまんが、ようやく口をひらいた。
「わかりました。私からお話しましょう。」
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「…………。」
しょくぱんまんから事の詳細を聞いたアンパンマンは徐々に記憶の断片を取り戻していった。
バイキンマンの正義を嫌悪し、罵倒したこと。そして自分の正義もまた傲慢なものにしかすぎなかったこと、そして……。
「あの後俺達がすぐにお前の頭に水をぶっ掛けてやんなかったら、一体どうなってたことやら……」
やれやれ、といった具合にカレーパンマンが口を挟む。
「そ…それで、バイキンマンはどうなったんだい!?」
「………大丈夫ですよ。ただ、今は大事をとって入院しています。」
「そうか……。」
アンパンマンは、自分を見失ってバイキンマンを酷く傷つけたことを激しく後悔した。
握った拳には、まだ痛みが残っていた。その痛みはバイキンマンの痛みであり、殴った自分の心の痛みなのかもしれない、とアンパンマンは思った。
**********
「……どうぞ。」
病室のドアを恐る恐る開けるアンパンマン。
ベッドには、手足にギプスをはめ、体中に包帯を巻いたバイキンマンがいた。
しょくぱんまんは「大丈夫」と言っていたが、とてもじゃないが「大丈夫」なんてレベルじゃなっかった。果たしてアンパンマンの罪悪感は、ますます深くなっていくばかりであった。
「なんだ、アンパンマンじゃないか。よく来たな!」
そんなアンパンマンの気持ちを汲み取ってか、ところどころ欠けた歯を見せて、バイキンマンはニカッと笑った。笑ったあと「イテテ」と小声でおどけてみせた。
「バイキンマン……本当に、すまなかった。僕は君のことなんて何一つ……。」
「いいんだいいんだ、アンパンマン。ありゃ一発目で素直にバイバイキンできなかった俺様が悪い。なんてなガハハ!!」
「それに……学校行きの件な?アレ、駄目になっちゃったんだ。『身元がわからない生徒はウチには置けない』だとさ……。」
「そんなのあんまりじゃないか!?僕が…僕が学校側に掛け合ってみるよ!そしたらきっと……」
「いいんだ。とどのつまり、俺達はその程度の扱いしかされないんだ。みんなもう十分に、そう、痛い程にわかり切っていることさ。」
病室の窓から中庭で遊ぶ子供たちを見遣りながら、バイキンマン深い溜息をついた。
「でも……やっぱりそんなのおかしいよ。間違ってるよ…。」
やはり納得しきれないアンパンマンは、力なく言葉を漏らした。
「なぁ、アンパンマン。“正しい”とか“間違っている”とかいう概念は、一体どこから生まれたんだろうな。」
「俺、思うんだ。結局、正義なんてものは単なるエゴにすぎないんじゃないかって。自分の物差しで他人や物事を測って、そこから導き出された評価を勝手に他人に押し付けているだけなんじゃないかって。だからさ、いつでも正しい“ほんとうの正義”なんて、ないんだろうと思う。」
「もし仮に、例えば『人を傷つけてはいけない』とか『人のモノを取ったらいけない』とか、万人が“正しい”と認めることがあったとしても、それは“倫理”“道徳”あるいは“法”と呼ばれるモノであって、“正義”ではないんだと思う。」
「でも、だからといって“自分の正義”を捨ててしまってもいけないんだ。“正義”−−それは言い換えるなら“信念”だ。信念を捨てた奴には、何も救えない。何も変えられない。」
「−−じゃあ、一体どうすればいいんだ?正義を押し付けてはいけない、だからといって捨ててもいけないなんて……。」
アンパンマンはまた自分を見失いそうな心地がした。正義に生まれ、正義に生きてきた男にとって、バイキンマンの言葉はさながら自分の全存在を否定されているようなものだった。
しかし、アンパンマンは辛ろうじて自分を保っていた。しかしそれでも彼の自我は、伸びきったゴムのように今にもはち切れそうだった。
「アンパンマン、お前の正義は、何だ?」
黒目がちの大きく見開いたバイキンマンの目が、アンパンマンを見つめていた。アンパンマンは、その何事も見透かしてしまいそうな視線に、思わず目を伏せてしまった。
「僕の……僕の正義は、みんなを守ることだ。みんなが安心して暮らせるように、守ることだ……
「アンパンマン、お前はしっかりしているようで、自分のことは何一つわかっていないんだな。お前は……愚直すぎるんだ。まぁ、それがお前がみんなに好かれる理由でもあるんだがな……」
バイキンマンは照れくさそうに言った。
「いいか、アンパンマン。お前の正義は、決してそんなかっこいいものじゃない。文字通り自らの身を削ってよれよれになり、傷つき倒れながらも困っている人のために尽くす。空腹の人に顔の一部を与えることで戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも、戦いも放棄しない。それがお前の正義だ。」
「いつも戦ってる俺様が言ってるんだ。信じろよガハハ!」
顔に似合わずマジメなことを言ってしまった、と言わんばかりに、バイキンマンは豪快に笑ってみせた。アンパンマンは目を丸くしてキョトンとしていた。
「お前はさ、今まで通り、お腹を空かせた人に顔をあげたり、困っている人の手助けをやっていたらいいさ。難しいことじゃない。」
「ただ、これだけは覚えていて欲しい。お前の見えないところで、お前の気づかないところで、苦しんでいる人がいることを。誰かの影で、ひっそりと助けを欲している人がいることに、できるだけ気づいてやって欲しい。俺様からの願いは、それだけだ。」
バイキンマンの真摯な言葉に、アンパンマンは黙って頷いた。
「こんだけボロボロにやられたんだ、願いの一つでも聞いてもらわなきゃ割に合わねぇよなガハハ!」
チクリと刺すような皮肉をあっけらかんと言ってくれるあたりがバイキンマンらしいなと、アンパンマンも思わず笑ってしまった。
「ハァ…今日は疲れたから…もう寝かしてくれないか。」
まどろんだ瞳で、バイキンマンは布団を引っ張った。
「あぁ、本当にすまなかった。僕が言うのもなんだけど、お大事に。」
深く頭を下げて、アンパンマンは踵を返して病室のドアノブを握った。
「正義は雄弁に語るモンじゃねぇ。何も言わず、ただひたむきにそれを実践するモンなんだぜ。」
ドアが閉まる瞬間、バイキンマンはボソッと呟いた。それがアンパンマンの耳に届いたかどうかは、わからなかった。
バイキンマンが息を引き取ったのは、その四日後だった。
**********
「アンパンマンだ!みんな〜、またアンパンマンが来てくれたよ〜!!」
ニコニコ園には、今日も子供たちの歓声が響く。
「はい、みんな、あんぱんだよ!今日は特別に栗入りだよ!」
「「「わ〜い!!!」」」
周りを囲む子供たち一人ひとりに、アンパンマンは自分の顔を千切って配った。
「「「アンパンマン、ありがと〜!!またきてね〜!!!!」」」
精一杯手を振る子供たちに、半分欠けた顔でニカッと満点の笑顔をみせる。
園舎を離れ、荒野にポツンと取り残されたブランコにアンパンマンは腰掛けた。
遠くから聞こえてくる無邪気な声を聞きながら、かつてのライバルに思いを馳せる。
「アン…………パンチ……………」
いまはもう使うことのなくなった必殺技の名前を呟きながら、相変わらず分厚い雲に覆われた空に向けて、拳を突き上げる。
「ば〜いば〜いき〜〜〜ん」
どこからか、そんな声がきこえたような、気がした。
【fin】
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