ネオンの光が差し込む、薄暗い六畳間。畳みは擦り切れていて、所々破れている。
手荷物と一緒に持ってきた小さな寝袋の中で、まだ寒さの残る四月の夜を耐えた。
――浪人なんて、する気じゃなかった。
国立大学を受けて、前期も後期も駄目だった。しかし、私立には受かっていた。
もとより浪人する気がなかった僕は、その私立に入らせてくれと両親に懇願した。学費が大変だと思うけど、バイトも頑張るし奨学金や授業料免除をとれるように勉強も頑張るから、と。
両親が首を縦に振ることはなかった。
「浪人してでも第一志望に行かんと絶対後悔するけん。」
「野球部で現役時代にあんまり勉強できんかったお前は、浪人すればもっと上のレベル狙える筈や!向上心を持て!」
そんな理由で僕を説得しようとしていたのだろうが、それは建前だろう。親は親自身の面子が立たないから、僕に浪人してでも上のレベルの大学に行ってもらいたかっただけにすぎない。そう思った。
「親の都合押し付けんなやこのアホ!」
僕も必死に抵抗したが、父親の「精がないわい」という一言に、僕は抗うことを諦めた。同時に、この時ほど両親をブチ殺してやろうと思った時はなかった。
そりゃあ僕を産んで育ててくれたのは他ならぬ自分の親だけど、必死に努力した結果失敗して「もうこんな辛い思いしたくない!」と懇願する息子に「精がないわ」とは何だ。別に慰めが欲しい訳じゃないけど、正直そりゃないよ、と。
とにかくこの発言を受けて、所詮子供なんて親のステータスか都合のいい操り人形にしかすぎない、少なくとも、自分の親はそんな風にしか思ってないのだと悟った。
もう親に頼るのは、やめた。
「もうええわ。出て行く。」
予備校へ行くことを進められた。しかし、塾の類に通うことが嫌いだった僕は、宅浪することにした。かといって実家に留まるのはもっと嫌だったので、兄貴の 住む大阪に行き、一人暮らしをしながら勉強することにした。目指すのは現役時代に受けた神戸大の一つ上、阪大だ。大阪を選んだのには、それもあった。
「そんなん無理や!予備校行きんさい!」
親は猛反対した。それでも無理を通した。
「これ以上お前らの思い通りなってたまるかボケ!見とれよ!」
それが僕のせめてもの反抗だった。
傍から見れば、単なる意地にしか見えなかったのかもしれない。つまらない意地を張ってバカをみる――確かに、結果から言えば、第一志望の阪大に落ちて、バカをみることになったのだが――愚か者に見えたかもしれない。
正直なところ、当時は浪人に対してかなりの偏見を持っていた。小中高と「野球部」というタテ社会に生きてきた自分は、自分が浪人になって同い年から下に見 られることや、年下から同等と思われる事が、すごく嫌だった。今となっては非常にバカらしく、些末な問題なのだが、それが野球部、つまりの典型的なタテ社 会に生きてきた者の背負うべきカルマなのだから、仕方が無い。今では本当にどうでもいい問題なのだけれど。
僕は“ただの”浪人が嫌だった。格好がつかないと思った。「自分のアイデンィティはこれだ!」というものが欲しかった。だから、敢えてこういう道を選んだ。
「経済状況が厳しいから」だとか「親に負担をかけたくない」だとか、そんな立派な理由じゃない。ただ単に格好悪いままがいやなので、格好つけるために家を出た。本当に、器の小さい奴だ。自分でも思った。
とにかく、このまま家を出たってただ路頭に迷って朽ちていくだけだ。バイトをするにも、いくら時給が高いとはいえ、自分の稼ぎだけで生きていくのは不可能だ。
そこで目をつけたのが「新聞奨学生」。新聞配達のバイトで給料を稼ぎながら、奨学金を貸与してもらえる、というヤツだ。
給料と奨学金で16万円。しかも住み込み。親の援助なしにやっていくには、これ以上の条件はなかった。直ぐに応募した。
「かなり厳しいで?」
新聞社の奨学生担当者に言われたが、もう覚悟は出来ていた。後悔はしないつもりだった。
――予想もしなかった未来。僕はまさにそこに立っていた。
希望満ちた明日は、泥まみれの今日に変わってしまった。
希望も不安も恥も悔しさも、全て抱いて。僕は大阪へと旅立った。麗らかな春の日差しが、少し皮肉に思えた。
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