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「浪人して、よかった。」

浪人当初の自分では絶対に思わなかったであろうことを、今、僕は素直に思っています。
もちろん、結果的に言えば“ハッピーエンド(= 第一志望合格)”では終われなかった。一年間齷齪と地道に努力を重ねたのにも関わらず、結局は現役でも普通に合格できていたであろう場所に落ち着いてし まった。学力とか大学のレベル云々じゃなくて、一年前より進歩していない自分が、悔しかった。

しかし「過去を美化したくなる」というのが人情であって、例外なく僕も、クソみたいな一年間ではあったけど、やはり“美しい日々”として心に描き留めてお きたいと思っている訳で。自己の中での美化活動の一環として、そしてその美化された思い出話を、どこの誰でもいいから、とにかく聴いてもらいたくて、この 『浪人時代』という一連の記事を書き始めました。

このように、自分の過去の体験を問わず語りで語ることは、甚だしい自己満足だ。それは、自分でも思う。そして、自分という人間は、本当に自己顕示欲が強い人間であるということも、自覚しています。

しかしこの日記には、「俺にはこんな過去があったんだぜ!」という自己顕示欲が半分と、今現在浪人している人、或いは過去に浪人していた人達に、繋がり――即ち、共感できる部分・シンパシーを感じて欲しいと思う気持ちが、もう半分にありました。

記事の連載中、数人の現浪人・元浪人の方からの共感や応援のコメントを頂いたりもし、そのような僕の思いが無駄にはならなかったことを、この場を借りて御礼申し上げます。


さて、僕はこれまでの日記で「たった一人で浪人時代を切り抜けた」みたいな書き方で書いていたように思われがちですが、実際は、僕は、“一人”ではなかったと思います。


陳腐な綺麗言のようなことを言うかもしれないけど、本当に僕は、多くの人々に助けられながら、浪人時代を乗り越えてきました。


まずは、両親。
両親とは喧嘩別れのような形にはなってしまったけれど、実家を出て行く時は、新生活に必要な家財道具一式は一通り揃えてくれたりもした。それ以降も、物質的に僕が困らないように、たまに一方的に支援物資を届けてくれたりもしていた。
「一人立ちするんだ!」とカッコつけて仕送り金などは受け取らなかったのだけど、なんだかんだ言って僕は結局、完全に“一人立ち”することはできなかった、ということだ。


次に、当時大阪に住んでいた兄貴。
大阪を出て右も左も分からない僕に、生活に必要なものを揃える店や参考書などを揃える為の大型書店などを教えてくれたりと、大阪で生きる為のノウハウを教えてくれた。また、近くに親しい人が居てくれるということは、都会で生きる上での大きな安堵ともなった。


あと、新聞配達所の人たち。
気さくでお人好しの所長さんと、会うたびにいつも僕を気遣ってくれた奥さん。朝メシをおごってくれたり、いろいろ面白い話をしてくれた関本のおばちゃん。 ハゲでピザで中年で自己中で鬱陶しかったけど、仕事の上では一番お世話になった藤原のオッサン。同じアパートの増田さん。ギターを教えてくれたりバイクで 甲子園に連れていってくれた、加藤さん。歳が一番近くて、一番仲良かった上野さん。草野球チームに誘ってくれた、配達先の喫茶店『るふらん』のマスター。

最低最悪の底辺の日々の中で出会ったこの人達は、新聞配達という、言い方は悪いかもしれないけれど、どちらかというと日本社会の“底辺”にいるような人達だった。決して良い人ばかりではな い、いや寧ろどうしようもない程ダメな人ばっかしだったけど、ひとクセもふたクセもある、奇天烈で面白い人達ばっかりだった。日本の底辺も、まだまだ捨て たモンじゃあない、と思った。


そして、高校の浪人仲間。
直接会ったりする訳ではなかったけど、ちょくちょく電話で近況を話し合ったり、愚痴や相談を聞いたり聞いてもらったりしていた。特に、野球部仲間の浪人仲間で一番仲が良かったタッくんの存在は、大きかった。タッくんには、親の次に合格を報告した。


最後に、関西方面進学の元受験仲間。
さすがに「大学生」と「浪人生」という身分の差から生じる会話と生活のギャップは当然あったけど、高校時代と相も変わらず僕と接してくれて、僕が暇な時は、いつも一緒に遊んでくれたりしていた。

いっちゃん、ナカシマ、ショウヘイ、ほっしゃん、キム、うえ。お前らいてくらたから俺は、頑張れたんだ。俺の浪人時代を一番支えてくれていたのは、お前らなんだ。自分ら本人は、別にそんな意識は無かったかもしれないけど。

みんながいてくれて、本当に、よかった。ありがとう。



本当に、たくさんの人達に支えてもらっていたのだなと、今になってしみじみ思う。

もちろん、浪人時代からこのブログを見てくれていた、そこの貴方にも。


・・・・・


浪人という身分は、とにかく世知辛い身分だ。
行きたかった大学には突き放され、同級生には先を越され、置いてけぼり。下級生に追い詰められ、負けることだって、ある。
大学に入ってからもそれは同じで、年功序列のタテ社会に生きてきた僕にとっては、“浪人”というレッテルは、もの凄いコンプレックスでした。
たぶん、僕と同じようなコンプレックスを抱いている浪人生は、少なくはないと思います。

僕は、現役当初から、浪人することが嫌だった。それは、上に書いたような理由ももちろんあったが、何より、浪人するというが、“たかが受験勉強だけに一年間を棒に振る”ようなマネに思えて仕方がなかったからだ。

「一年」という歳月の重みは、歳を重ねる毎に軽くなっていくものだ。それは、年齢を分母に喩えた単純な分数と同じである。18・19歳にとっての一年間というものは、あまりに茫漠とした時間のように感じるものだ。

「受験勉強という檻の中に囚われて机の前で齷齪と受験勉強している一年間より、早く広い社会に出て経験値を積む一年間の方が、絶対いい!」

当時は、そう思っていました。

だけど今思うと、それはただの建前にしか過ぎず、結局のところ僕は「受験勉強という折に中に囚われる」事それ自体から、逃げたかっただけなのかもしれません。

受験勉強にしろ社会勉強にしろ、それは舞台や土俵が異なるだけ。舞台がどこであろうと、逆境や挫折を経験するかしないか。問題はそこであることを、僕は知った。

どんな道にも、そこでしか見ることが出来ない“景色”がある。
遠回りしようが近道しようが、そこで見た景色は、他では見ることができないオリジナルな景色。
だからこそ、どんな人生を歩むことになっても、そこで見た“景色”を大切にすること。それが人生を滋味深いものにするコツなのではないかなと、僕は思います。
だったら、目的地ばかり追い求めて近道を走るよりも、道草食って遠回りした方が、目的地に着くまでにいろんな“景色”を見ることができるんじゃないか、と。

浪人という遠回りの道を歩んだ過去があるからこそ、今の僕は、そう言えます。

自分の過去を正当化・美化するという作為が無いと言えば嘘になります。でも、美化でもしなきゃ、あまりにも救いが無さすぎじゃないですかね。自分が自分を肯定してやらなきゃ、誰が肯定してくれるんだって話で。


話は逸れましたが、とにかく。


遠回りもそんなに悪いモンじゃあないかな。

『浪人時代』というこの一連の連載記事を通して一番僕が言いたかったことは、そういうことです。


長々と最後まで付き合って読んで下さった方、本当にありがとうございました。


相変わらず不堪な僕の文章ですが、皆々様の心のドアーを、少しだけでもいいので、ノックできたなら。そう願って、筆を置かせて頂きます。

重ね重ね、ありがとうございました。



つーちん