「おう、君が新しい奨学生か。これから仕事に慣れるまで俺が教えてやるさかい、しっかり仕事覚えや。」
禿げた頭、太った体型。藤原と名乗るその中年男の周りには、ありえない量の新聞が山積みにされていた。
というか、店の中が溢れそうなほどの新聞の量だった。
「まずは自分の区画分の新聞を当番が仕分けしてくれるから、それにチラシを入れる。チラシなしの分もあるから、全部は入れんなよ。」
そういいつつ藤原さんは、凄いスピードで新聞にチラシを入れていった。これが職人芸か、と思った。
しばらくすると、他の新聞配達員の人も続々と店に入ってきた。皆、目にヘドロを浮かべながら淡々とチラシ入れをこなしていった。
チラシを入れていったら、次は配達の段取りだ。
新聞と一口に言っても、その種類は多々にある。あまつさえ、ウチの店では2社の新聞を取り扱っていたので、10種類ほどの新聞があった。
まずはいくつかの大口分を組み、次にビニールで梱包しなくてはならない所は梱包し……と、配達前に煩雑な手順で準備が整えられていった。
「ウチは種類も数もメチャクチャ多いから、準備が大変やねん。」
さすが大阪きってのビジネス街。雑居ビル・高層ビルが密集し、そのビル内にテナントを構える企業は数知れない。
あとで分かった話なのだが、僕の働いていた店の配達部数は日本でも一・二を争うほどの量で、その店の中でも僕の担当する区画が一番部数が多かったみたい だ。なるほど道理で、配達部数が全部合わせて800部を越えるハズだ。(ちなみに部数は多いが、大口も多かったし、一つのビルに複数のテナントが集中して いるので、配達区域の広さは大したことはなかった。ただ数が多かった、というだけの話だ。)
準備が終わったら自転車への積み込み。
その積む量たるや、もはや人間の限界を凌駕するものであった。
「あの、これホンマにいけるんですか?」
「おう、慣れたら楽勝やで。」
自分の身の丈を越える高さまで積まれた新聞をみて、僕は絶望した。
「ほな行こか。今日は俺の後に付いてきて見るだけや。そこから2週間くらいで一人立ちしてもらうからな。」
その言葉に、僕の心に広がる不安の雲は、ますます広がるばかりだった。
そこから一ヶ月近く、泥沼の日々だった。
朝3時に起きて、店に向かう。チラシ入れと準備を終え、配達に出発するのはだいたい5時すぎだった。
大量に新聞を積んだ自転車は、ことある毎にバランスを崩し、倒れた。明け方の人気のない道路の真ん中で、散らかった新聞を涙目で積みなおし、そしてまたコケる。最初の方は、それの繰り返しだった。
そんな按配だから、当然配達に遅れが出る。行く先々で「遅い。」などとブチブチ文句を言われ、ようやく配り終わったと思えば、「なんぼ誤配・不配したら気 が済むんや!」と例のハゲ中年ピザに怒鳴られ、居残りさせられる。不配を届けに行ったら行ったで、配達先でまた怒られる。
「クソッタレ!クソッタレ!」
誰に向かって言うでもない言葉を、新聞を積んで重くなったペダルの上に乗せて、踏みしめた。
結局朝刊が終わって部屋に帰ると、10時を回っているのが常だった。
慣れない早起きと疲労で、帰るなり敷きっぱなしの布団に倒れ込む。気がつけば午後2時過ぎ。もう夕刊の配達に行かなければならない時間だ。
夕刊を配り終えて家に帰るのは、午後5時。明日また3時に起きることを考えると、9時には床に就かなければならなかった。
起きて、朝刊に行って、疲れて、寝て、起きて、夕刊に行って、疲れて、ぼーっとして、寝る。仕事に慣れるまでの一ヶ月とちょっとの間は、そんな感じの毎日だった。
そして何より辛かったのは、いつも「ひとり」だった、ということ。
兄貴は割りと近くに住んでいたけれども、会うことは少なかった。
大阪の大学に通う友達はいたけれど、月に一・二度会うか会わないかぐらい。
同じ仕事場の人はいつも疲れ果てた感じで、皆どこか閉鎖的だった。
底辺。まさにその言葉がお似合いの日々。
手前味噌ではあるが、小中高と成績優秀で通してきた。野球部で毎晩遅くまで練習しながらも成績を保ち、高3の時は文系選抜クラスに入った。それだけが取り柄で、それだけが自慢だった。
だのに、このザマは何だろう?周りから期待されていた難関国立の受験に失敗し、知らない土地で、知らない人たちに囲まれ、汚い六畳間で、息を潜めるように生きていた。
みすぼらしい格好で新聞を配る僕を吐き捨てるように見る、ビジネス街の会社員の群れ。アパートの近くの高架下で芋虫のように眠り、人気のない早朝にゴミを漁るホームレス。それが日常の風景だった。
配達を終えたら一目散に部屋に逃げ込み、六畳間で、薄汚い壁を見つめながら、自分で作った不味いメシを貪り喰う。たまに友達にメールを送ってみても、中々返ってこない。返事が来たら来たで、書いてあるのは大方、大学での楽しい生活の様子だったりする。
目を閉じれば、もう一人の自分が笑っていた。
僕を遠巻きみ見つめ、「ざまぁねぇや」と冷ややかに嘲笑していた。
孤独だなんて、格好のいいことは言わない。
そこにあったのは、ただ空っぽなだけの自分だった。
「寂しい寂しい」だなんて嘆いて泣いていたって、何にもならない。それは、この生活を開始して初めて身につけた知恵だった。
「感傷なんかはゼニにもなりゃしねぇ」
そう歌ったのはThe Back Hornだった。
それが当時の僕にとっての、唯一の真理だった。
眠りに就いたら、何も考えずに済む。何も感じなくて済む。そして眠くない時は、参考書の中に逃げ込む。「ひとり」の重みに耐え切れない心の弱い自分には、そうやって誤魔化し誤魔化しながら日々をやり過ごすしかなかった。
「ひとり」で佇む部屋の湿度は高く、じっとしていても汗ばむ季節になっていた。
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