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路地裏を吹き抜ける風が、少し冷たさを帯びてきた。
ジャケットのポケットに入れた手紙を、僕はもう一度確かめた。張り裂けそうな鼓動を、音楽プレイヤーの音量を最大にしたイヤホンを耳に押し付け、ムリヤリ誤魔化そうとした。

でも、僕はもう、迷わなかった。


・・・・・


彼女を初めて見かけたのは、たしか、5月の半ばくらいだった。
仕事と勉強にくたびれて、息抜きに立ち寄った、住んでいるアパートの近くの99ショップ。なんば筋を越えて少しいったところにある、99ショップ。
別にこれといって欲しいものなんてなかったのだけど、何となく入ったがてら、適当に棚にあったお菓子と飲み物を選び、レジに持って行く。忘れもしない。そう、僕がこの時レジに持って行ったのは、「コアラのマーチ」と「いちご牛乳」だった。

「二点で208円になります。」

鈴のような声が、聞こえ、ふと眼差しを上げた。そこには、小リスのような、可愛らしい女性が、はにかんだ笑顔で商品の入った袋を差し出していた。トクリ、と。鼓動が一つ、鳴った。

250円お預かりします。42円のお返しになります。」

お釣りとレシートを渡す瞬間、少し手が触れた。そんな気がした。さりげなく、制服の胸元の名札を見遣る。名前は――「高橋さん」。

店を出る頃には、僕はもう恋をしていた。


――ベタだと、笑ってくれればいい。「お釣りを渡す時に手が触れたコンビニ店員に恋をした」だなんて、恋愛アニメや漫画にも今どき出てこなさそうな、ベタ過ぎる展開。どうか、笑ってください。それでも僕は、恋をしたんです。


その日から僕は、別段用もないのに99ショップに出かけることが多くなった。彼女に会えないかな、という、子供のような、淡い期待を抱いて。
店の外から中を伺うだけの日もあったり、何も買わない日もあったり、普通に欲しいものを買いに行く日もあったり。なるべく、高橋さんがレジに居そうな時間 帯を予想しつつ、店に足を運ぶ。ハズレの日は大体、何も買わない。アタリの日には、必ず買うものがあった。あの日買ったのと同じ、「コアラのマーチ」と 「いちご牛乳」。
しかし、こうしてやっとの思いで会えた日でも、とんだチャチャが入る場合もある。

「後ろのお客様、こちらのレジにどうぞー」

そこのオバハン、余計なサービスをしてくれるな。心では呪詛を吐きながらも抗えない僕は、渋々隣のレジ――高橋さんじゃないレジに移動する。今日も、また失敗だ。


近づけそうで、近づけない。話しかけたくても、キッカケが掴めない。そんな日々が、数ヶ月間続いていた。
10月になり、かねてから決心していたのだが、遂に僕は、新聞配達の仕事を辞めることを所長さんに告げた。いよいよ受験勉強に本腰を入れる為だ。
新聞配達を辞めるということは、今住んでいるアパートを出なくてはならない。以前大阪に住んでいた兄の助けを借り、もう既に、豊中市の方に引っ越すアパー トを決め、引越しの準備を進めていた。次に住む部屋は、新聞店で借りているボロ六畳アパートよりも少し広くて、はるかに綺麗な部屋だった。仕事の方も、新 しく入ってきたおじさんが、意外にも長く続きそうだった為、引継ぎも順調で、どうにか跡を濁さず辞めるメドがついた。

このクソみたいなアパートと仕事から、オサラバできるまで、あと数日――。引越しまでの日数を、指折り数えてみる。それは、高橋さんのいる、あの99ショップに通うことのできる残りの日数でもあった。


勉強と仕事と引越しの準備の傍ら、僕は手紙を書いた。自身の恋愛経験上、相手に自分の想いを告げることのないまま終わってしまう後悔は、頭を掻き暮らす程の苦痛を伴うことを僕は知っていた。今回だけは、どうしても想いを告げなくてはと、僕はいきり立っていた。
手紙は、何度も何度も書き直した。どんな内容だったか細部はあまり覚えていないけど、まず自分のことを覚えてくれているかという事と、相手のことを一目惚 れしてしまった事と、あと友達になりませんか、みたいなことを書いたような気がする。今にして思えば、それこそ中学二年生が書くような、中二病全開の稚拙 な文だったと思う。しかも、オシャレな便箋を使う程の気遣いもなく、ルーズリーフに書いたのを茶封筒にいれただけの、酷く無骨な手紙。これで上手くいった 方が逆に怖いくらいだ。今思えば。

だけど、当時の僕はどうしてかそんな事にはビタイチ気がつかず、ただただ自分の想いを綴ることだけで精一杯だったのだ。


最後の日々を、僕は躊躇いがちに過ごした。
決心して店に赴いた日に限って、肝心の高橋さんが、いなかったり。
せっかく高橋さんがいるのに、タイミングが掴めなかったり、途中で怖気づいたりして結局手紙を渡せなかったり。

そして、引越しの前夜。これがラストチャンスだと、僕は手紙を握り締め、アパートの赤い鉄の扉を開いた。


・・・・・


高橋さんが今日レジにいるのは、もう既に確認済みだった。あとは、タイミング。恐らく、もうそろそろバイトから上がる頃だろうという予測して、家を出た。そして、予想はジャスト!バイト上がりの彼女が、店から出てきた。今や!行け!!


――あのう、すみません。


消え入りそうな声で声を掛けたのを最後に、僕は頭が真っ白になった。そこから先は、覚えていない。どうやって手紙を渡したのか。どんな言葉を最後に掛けたのか。

猛ダッシュでアパートに逃げ込み、恥ずかしさと期待と不安で高鳴る胸を、やはり音楽プレイヤーを最大音量にして誤魔化す。

もう、何も考えたくない。思い出したくない。「よかったらメールください。」という文と共に自分のメールアドレスを書いておいたから、何かあったら、携帯が鳴るだろう。僕はイヤホンから滝のように流れ出すノイズで気持ちを紛らわしつつ、目を閉じて携帯を握り締めた。


・・・・・


あれからどれくらい経ったのだろう、音楽プレイヤーで再生されるアルバムが4週目のリピートに入った頃、携帯のバイブレーションの振動が、手の中に伝わった。


*****


【タイトル】
無題

【本文】
こんにちは。99ショップでアルバイトをしている、高橋です!
手紙どうもありがとう☆ビックリしたけど、とても嬉しかったです。
それに、よく買い物来てくれてましたよね?ちゃんと覚えてますょ(^-^o)★

でも、実は今付き合っている人がいるんです。だから、メールしたりすることは出来ません。
ごめんなさい(>_<)

引越しするんですね…でもコッチに帰ってきたときにはまた買い物にでも来て下さいね(o・v・o)
お待ちしてます★

引越した先でも、色々頑張って下さい★


*****


滑稽だろうと、思う。さぞかし彼女とその彼氏には、笑われただろうと、思う。

でも、不思議と、清々しい気分だった。彼女からのメールの文面が明るく前向きで可愛らしかったこともあるのだけど、何より、自分の気持ちを、手紙という媒体を通してだけど、ストレートにぶつけられたのは、人生で初めてだったからだろうと思う。

僕は高橋さんから届いたメールに「ありがとうございました。」とだけ書いて返事を送り、携帯を閉じた。彼女からの返信は、それきり無かった。


これでもう。俺には、受験しかなくなった。そう思えば、意外に失恋の痛手は、軽かった。



「コアラのマーチ」と「いちご牛乳」を見かけると、今でも僕の胸は、少し疼くけれど。