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忘れもしない。


3月20日・正午前。パソコンのディスプレイを前に、僕は吐き気と目眩がしそうな程、緊張していた。

浪人で、後期。まさに崖っぷちの状況だった。

ネットの回線は、前期の発表の時よりは混雑していなかった。合格発表のページは、思ったよりもすんなりと開けた。

今回で、四度目の審判。過去三度の悪夢が、頭をよぎる。背筋がゾクっとした。


・・・・・


一度目は、実家のパソコンの前だった。回線が混雑していて、今か今かと待ち続けてようやく見れた合格発表のページ。そこには、手元の受験票に書いてある番 号は、なかった。パソコンの音楽プレイヤーからは、レミオロメンの『3月9日』が流れていた。優しいメロディーと歌詞は、僕の心に余計に残酷に響いた。そ の日から僕は、その曲が嫌いになった。


二度目は、図書館のパソコンの前。進路のことで親を揉めていたので、家には居たくなかった。友達に進路を相談していた時だった。
時刻になり、図書館のパソコンを借り、友達と一緒に合格発表を見た。またもや回線は込み、じれったく更新ボタンを押していたら、母から電話があった。

「……ないよ」

呆然とした声で、母は言った。僕は初め、その言葉の意味が理解出来なかった。刹那、やっとのことでページが開けた。僕は、そこで初めて、母の言葉の意味を知った。

隣で一緒に合格発表を見届けていた友達――既に推薦で国立大学に進学が決まっていた友達は、どういう言葉を僕に掛けていいのかが見つからず、明らかに狼狽していた。悪いことをしたな。ただ、そう思った。


「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」という諺は、矛盾する。
それから一年、僕はまたもや、ほぼ“死刑宣告”ともいえる、あの衝撃を味わうことになった。

三度目の死刑宣告を受けた後、僕はずっと一人で布団にうずくまっていた。

とにかく、眠りたかった。眠っている間は、何も感じなくて済む。悔しさも、惨めさも、何もかも。眠りという安易な快楽に、逃げ場を求めたのだ。
眠りには、感情のリセットという非常に都合のいい機能もついている。「一晩泣き明かしたらケロリ」、そんな夢の治療法。事実、十数時間後に目が覚めた直後は、かなりスッキリしていた。

しかしそんな付け焼刃の治療では傷は治せるはずもなく、数十分後にはまた、憂鬱が襲う。

無理もない。浪人生は、結果が全て。第一志望に受からずしては、一年間の苦労が全て水泡に帰す。そういう思いで、どんな辛い状況だって今まで耐えて、頑張ってきたのだから。

その夜、僕は生まれて初めて、一人で酒を飲んだ。普段は酒なんて全く飲めない僕である。

「ああ、大人の人はこんな時、酒を飲みたくなるのだろうなぁ」

そんな少し背伸びなことを思いつつ、酩酊。泡沫の愉楽。もちろん、後に激しい頭痛と吐き気に襲われる羽目になったのだが、そのお陰で、不合格の悔しさをまた暫くの間、忘れることができたのだけれど。


・・・・・


ネットの回線は、思いの外混雑していなかった。合格発表のページは、意外に呆気無く、すんなりと開けた。

ページを開き、画面を下にスクロールさせる。教育学部、社会系コース。


「あ」


そこには、あった。紛うことなく、僕の受験番号が。

何度も、何度も、確認した。でもそれは何回見てもやっぱり僕自身の受験番号で、僕が広島大学の教育学部に合格したという事実の証左であった。

未だに自分の合格を信じられず、夢見心地で、実家に電話をかける。一年前、親と大喧嘩した場面が、フラッシュバックする。それ以来、ろくすっぽ連絡を取ら なかった。向こうから連絡があっても、意地を張って故意に無視した。数ヶ月前に母から届いた荷物に添えてあった手紙には一言、「ごめんなさい。」と書かれ てあった。

思えば、心配ばかりかけてきた。


「うかったけん。」


相変わらずぶっきらぼうな物言いで、合格を告げる。

母は泣いた。嗚咽を必死に殺しながら、泣いていた。何か言いたげだけど、言葉が出ない。電話越しに、伝わってきた。

「ありがとう。」

やっとの思いで母は一言、そう言った。

「じゃあ、他の人にも報告せないかんけん、切るよ。」

照れ臭かったから、わざとまた、ぶっきらぼうに言った。結局、僕は一番言いたかった言葉が、最後まで、言えなかった。


友達に電話を掛けた。高校時代の野球部の仲間で、同じポジションの補欠仲間で、浪人仲間でもあった。そんなアイツには、親の次に報告してやりたかった。


「俺……うかったけん。」


今度は、僕が、泣いていた。



・・・・・


新緑。窓を思いっきり開いたその先は、田園風景。新鮮な草の匂いが、ツンと鼻孔を突く。新しい生活が、始まる。

一昨日は、両親と一緒に引越し作業だった。大阪から広島まで父がトラックを運転し、途中のインターで母が乗車し、何年ぶりだろうか、親子三人で食事をした。
両親とは、一度はもう縁を切ることさえ考えていた一年前とは見違えるように和解していた。むしろ、あんなことがあったからこそ、一層“家族”というものが愛おしく思えてきたのかもしれない。恥ずかしいから絶対本人達の前では、口はおろか態度にも出さないけど。
家具の組み立てに失敗する母。「絶対いらん!」と言うのに「これも要るやろ?こんなんも要るやろ?」と不必要に家財道具・電化製品を選んでくる父。そんな光景が、微笑ましく思えたのは、僕が大人になったからなのだろうか?


「ありがとう」


両親の帰り際、僕はやっと、素直になれた気がした。


昨日は、西条の街を自転車で散策し回った。春らしい、暖かい日だった。
何につけても、“始まり”には心が躍るものだ。期待・希望・夢。未知の道を風を受けながらゆっくりと散策する僕の心には、忘れかけていた新鮮な気持ちが萌えていた。


そして今朝、目覚まし時計が、けたたましい音を鳴らせる。しかし僕はもうとっくの一時間前に目を覚ましていて、前日に買った卵とソーセージで朝食を作っていた。目覚ましの不快なベルを止めるため、慌ててベッドに駆け寄る。

いつもこうだ。普段は二度寝したり布団の中でグズグズとしている僕だけど、何かイベント事のある朝は、必ずと言っていい程、目覚ましより早くに起きていた。――そう、今日は、入学式の日だ。

朝食を早々と胃の中に放り込み、給湯器のスイッチを押す。久方振りの忙しい朝は、僕に訳もなく充実感を与える。

暫し湯に浸かって出ると、くしゃみを二つ。春先の朝は、まだまだ冷えるようだ。

髪を大雑把に乾かし、引越しの荷物からスーツを取り出す。クリーニングしたてのスーツだ。
不器用な僕は、ネクタイを結ぶのに20分を要した。上手く結べなくて、結んでは解き、それの繰り返し。ようやくきちんと結べた頃にはもうネクタイはシワクチャで、少しがっかりした。
それでも、スーツを着るとやっぱり大人っぽく見える自分の姿に、暫しの間見とれてみる。鏡の前で、少しニヤつく。

気がつくともう、出発の時間だった。早起きしたつもりなのに、着替えに思いの外時間を掛けてしまっていたのだった。

鞄を手にとり、玄関前で立ち止まる。振り返り、部屋を見回す。


――思えば、浪人時代は、自分の部屋に閉じ籠りっきりだった。新聞屋の六畳一間の、汚く薄暗い部屋。私鉄沿線の閑静な住宅街のアパートの一室。

この部屋は、どうだろう。また浪人時代のように、籠りっきりになるのだろうか。そうならないと、いい。そうならないように、頑張ろう。



向き直った拍子に玄関で少し躓き、つんのめる形でドアを開ける。暖かい日射しが、段差のついた玄関に差し込む。磨きたての革靴が、光沢を放つ。













つま先を鳴らせば、ほら―――












それが始まりの合図。









【浪人時代・完】